F・L・ライトはサリヴァンの事務所を出て独立し、
ここシカゴ郊外のオークパークに住居と設計事務所(ライト・スタジオ)を設けた。
この地域は都市近郊の中産階級の住宅地として高品質の住宅が並んでおり、
住宅建築家としての名前が上がるにしたがって、
顧客がライトの設計による住居をスタジオの周辺に構えた。
しかし、ライト自身は、この土地で施主の夫人とのスキャンダルによりスタジオを離れ、
以降戻ることは無かった。
(事もあろうか、施主の奥さんと駆け落ちしちゃった・・・)
現在もそれらの住宅はそのまま個人住宅として使用されており、
街を1周することでライトの当時の設計思想が読み取れる。
などと紹介されているこのエリア。
公園から住宅地に入ります。
最初に出会ったのは
フランク・W・トーマス邸 1901年。
このブログN0.8で書きましたが
おさらいです。
ライトの住宅は
プレーリースタイルと呼ばれます。
アメリカの大草原にふさわしい建築形態であることから、
プレイリースタイル(大草原に建つ家)と呼ばれている。
自然環境と調和し共鳴しあう有機的建築を提唱。
深い庇(ひさし)や低い屋根のラインによる水平性の強調が大きな特徴。
こういった事を頭に置いてみてみると納得です。
こんな話を妻、長男にすると
「どの住宅がライト設計か当てっこしよう」
と 始めた・・・
こっちはライト体験に打ち震えてるのに
邪魔しないで。
ピーター・A・ビーチー邸1 1906年 既存の建物を取り込んでの改築。
レンガ積みが入ると俄然ライトっぽさが増す。
エドワード・R・ヒルズ・デケイ邸 1906年
ネイザンGムーアが娘夫妻のために隣接地の邸宅(1874年)の改築をライトに依頼したもの。
個人的にはこのグレーの壁と黒のラインがとても好きです。
なんだか明治村の帝国ホテル玄関の香り漂う
ネイザンGムーア邸
1895年のチューダー様式の住宅の一部改築をライトが担当した。
その後1923年に火災があり、2階、3階をライトが設計した。
アーサー・R・ヒュートレー邸1 1902年 典型的なプレーリースタイル
「これはライトだ、違う」だの
けたたましい家族とは他人のふりをして
続々と現れるライト建築に若干混乱しつつ、
到着。
ライトのスタジオ兼自邸。
もう、この時点で立ち尽くす・・・
「とうちゃん、行くぞ。」と長男。
台無しだよ。
こんな入り口からミュージアムショップに入り、
受付を済ます。
ショップは
なんもかもライト尽くし(当たり前か)
笑ったのは
ライトデザインのレリーフ型を利用した靴ぬぐいマット。
恐れ多くて踏めません。
その上の本は後ほどゆっくり選ぶとして。
いよいよ集合。
見学ツアーのスタートです。