1888年、22歳の(!)フランク・ロイド・ライトは上司のルイス・サリヴァンに5千ドルを借り、
これから家族で暮らす家を建てるべく、イリノイ州オークパークに土地を購入した。
時代を問わず多くの建築家がそうであるように、ライトもまた、
自宅を実験台として建築のアイデアを模索していった。
家族が増えたため1895年に最初の増築を行い、
子ども用プレイルームとキッチンのある新しいウィング棟を追加。
1898年には、2度目の増築で事務所(スタジオ)を追加する。
このスタジオで、ライトと所員たちは20世紀の最重要建築となった
建物の数々を設計したのだ。
また、プレーリースタイルが発展し円熟に至ったのも、この場所が舞台だった。
しかし、ライトは1909年、キャリアの絶頂期にこの家を永久的に去ることになる。
妻キャサリンと子どもたちを捨て、
施主であったエドウィン・チェニーの妻、ママー・チェニーと不倫関係となり、
ヨーロッパへ駆け落ちしたのだ。
ライトが去ったのち、家と仕事場はいくつかのアパートメントに分割され、
キャサリンと子どもたちの生活費を賄う収入源となった。
1960年代になるころには建物はすっかり荒れてしまい、
1970年代半ばには「フランク・ロイド・ライト・トラスト」に所有権が移された。
同トラストが数年間を費やして1909年当時の状態に修復し、
現在は見学ツアーも行っている。
さて
下の平面図book and shopの左横の庭に集合。
荷物を預けて、写真撮影権を持つ人確認。
わたしともう一人だけ・・・
くるっと家を半周して
こっち向いてる野球帽の人が説明ボランティア
ビルさん。
説明が早口で慣れるに時間がかかったが
最後までジョークだけが理解できず・・・
まあ、説明が理解できれば良いのです。
玄関を入ると階段室と一体になった空間。
なんとなく和風な縦格子と壁。
ここから入る最初の間は
リビングルーム。
外に円形テラスを持つこの部屋
ライトデザインの書見台が目を引く
2人が邪魔でしょうがない。
この書見台、ライトが帝国ホテル建設時に来日して
集め倒した浮世絵を見るためのもの。
ライトは浮世絵の収集家としても有名で
彼のパースは浮世絵の構図を多用している。
そして
暖炉スペース。ヨーロッパの電車のコンパートメントのような空間。
さらにその横の間は
ライトデザインのテーブルと椅子。
書斎的なコーナーです。
と
ここまで書いて
「お前、この家全部見せるつもりか?」
と お思いでしょうが
やります・・・
ただ、写真が思うように撮れなかったので
多少、分かりにくいかもしれません。
というのも
日本のデジカメ、スマホは写真撮ると
シャッター音がします。
これ、実は日本だけで外国では写真撮っても無音なのです。
よって
撮る度にみんなが振り返る・・・
説明中もシャッター音が気になって撮れない。
という理由なのです。
でも
めげずに続けます。