こんにちは。設計部の池内です。
今回は研修の一環で訪れたある展覧会についてご紹介します。
その展覧会とは
分離派といえば、ドイツ・オーストリアで生まれた分離派運動、ゼツェッションが有名です。
特にウィーン分離派のオットー・ワーグナーとその弟子J.M.オルブリッヒ、J.ホフマンらは、近代建築史においても影響力の大きい存在です。
ウィーン分離派の建築 その名もセセッション館
日本では1912年、雑誌『建築ト装飾』で「せせっ志よん號」と題しオットー・ワーグナーの建築が紹介されていました。
またこの当時、煉瓦造に代わり新しい構造として鉄筋コンクリート造が台頭してきました。
そして同じ時代に、帝国議事堂の計画について「我国将来の建築様式を如何にすべきや」と題した討論会が開催されました。
西洋の建築が紹介され、新しい構造が入ってくるのと並行して、これからの日本の新しい様式を模索していた時代でした。
そうした中、石本喜久治、山田守、堀口捨巳、森田慶一、瀧澤眞弓、矢田茂の6名で分離派建築会を結成。1920年のことです。「我々は起つ。」の宣言文を掲げ、自主的に卒業設計展を開催しました。
堀口捨巳:オランダ民家とデ・ステイルに影響を受け紫烟荘を設計
石本喜久治:W.グロピウスを初め様々な近代建築家に出会い影響を受けた作風
森田慶一:古典建築から建築論の研究に至る
など
同じ分離派を名乗りつつも、それぞれが独自の理論を磨き、個々バラバラに活動をしていたのも特徴的です。
共通するのは「創作」という意識です。
実務経験もない彼らが展覧会を開催し、新しい建築の在り方を模索し、世の中に発信するその行動力と熱量。
この展覧会の元となる著書『分離派建築会』のあとがきの言葉を借りると、世の中の情報をザッピングする現代のものの見方ではなく、深く鋭く世界を凝視する姿勢に学ぶものがあると思いました。