気仙沼です。
水の上を屋根が燃えながら流れていく映像をご記憶の方もお見えかと思います。
震災から3ヶ月。気仙沼駅近辺までは震災以前の町並みと人の流れが戻ったような
普通の街の雰囲気。
ところがあるエリアに入った瞬間街が変わります。
上が被災前。
下が現在。
道の向こうには家並みがあったのですが
今は空が見えています。
左も空き地になっています。
次は港に面した街の被災前と被災後。
木造住宅は完全に崩壊。しかしこのコンクリート打ち放しの建物は電気がついて、
人が住んでみえます。2階の窓にベニヤ板が見えます。ここまで波が来たのでしょう。
フェリーターミナル付近の震災前。
左の茶色のカーテンウォールを覚えておいて・・・
右がフェリーターミナル駐車場。
被災後、左の建物から間の木造が根こそぎなくなっています。フェリーターミナル駐車場の屋上から撮影。
この辺りはまだ 建物が残っていますが・・・
近くに寄ると
最下段の写真、壊れた建物も凄まじいけど道路が30センチほど砂利で盛ってあるのが見えます。
水が引いていないのです。もしくは地盤が下がったのか・・・
更に
フェリーターミナルを探して入り込んだエリアには瓦礫しか残っていませんでした。
海の向こうは今回の目的地 大島。一見、どこまでが海なのか・・・
道は砂利が盛ってありますがそれ以外の場所には海水が残っています。
まず、匂い。海水がヘドロとともに腐ったような潮の匂いの悪臭。
次に埃。微細な埃が全体を埋め尽くしています。
波はALC板を破壊し、残ったフレームに漂流物をありったけ貼り付けていきました。
津波に壊され、火災で焼けた建物の前で道を聞く宮崎と藤巻。
このエリアは中にいてもその被災規模が見えません。
フェリーに乗って海からこのエリアを見たときは言葉も出ませんでした。
写真やビデオで見るのと現地とでなにが違うか・・・
まず、匂いもそうですがその広がりです。
次に、痕跡・気配です。
最初は呆然とそこにいましたが、しばらくすると
破壊された建物や車に人の痕跡と言うか気配を感じることがあるのです。
写真では物が壊れている様子しかわかりません。
でもここは単に物が壊れた現場ではなく、
人の命が何千と失われた現場です。
未だかつてこんな場所に身を置いた事が無く、
この事を全身で感じてからは、一歩も動けなくなりました。
奥村と大上
藤巻
今回のメンバー。みんな同じことを感じていたのでしょうか・・・
さて、フェリーの時間がもうすぐです。
フェリーターミナルで荷造り。箱に、物資リストがあらかじめ貼ってあるので
これにあわせて衣類を箱詰めします。
東海・ビルド安全協力会より託された大切な物資。
これからフェリーで大島に渡り、手渡してきます。
フェリー乗り場の桟橋も海に落ちたまま。
フェリーの待合室や大島汽船の社屋は2階の天井にえぐられたような痕をのこしたまま。
やってきたフェリーには がんばろう気仙沼。がんばろう大島。の垂れ幕。
横には江田島市の文字が・・・広島から提供されたのでしょうか。
本来の大島汽船のフェリーはどこにあるのでしょうか。
こうして船出。
次回は海から見た被災地の様子・・・