いよいよ支援物資を大島に運び込みます。
フェリーから港を見る。一見、何事もなさそう・・・
しかし、近づいてみると・・・
本来の大島汽船のフェリーが見えました。ここにあったのか。
「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト」の大島担当、江上さんに無事
会うことができ、休暇村が臨時の物資保管所になっているとのことで
港から案内してもらいました。
ダンボールに入った衣類を軽トラックに積み替えます。
無事、渡すことができました。東海・ビルド 安全協力会の皆様、
皆さんの思い
しっかり届けました。
トラックに書かれたエールの数々。
最敬礼で見送ってくださる江上さん。
ほっとする間も無く、帰りのフェリーの時間まで島の被害を視察。
江上さんより
「この島は外洋側と湾側両方から津波を受けています。ある場所では外洋から湾に津波が抜けて更に引き波も同じところを戻ったのです。」
「島での死者は22名です。チリ地震津波の教訓がこの島には生きていて、高台に住む習慣が根付いていたのですがそれでも・・・」
と状況を教えていただきました。
下の写真は島を津波が横断した外洋側です。
テトラポットが浜に散乱し、防風林の松が倒れています。
全て海側に向いています。引き波の威力です。
こんな高台の家の1階が破壊されています。
立派な家ですが1階は何も残ってません。更にこの奥の家は・・・
下の家は倒壊、でも少し上の家は無事なようです。
ここの浜は瓦礫の集積場となっていました。
竹森も藤巻も無言・・
きれいな海と瓦礫のコントラストがあまりに異質。
次の場所では海の家がたいへんな状況になっています。
左が海。波は左の建物を貫通して、引き波でその右にあった家を引き倒しています。
左の建物の海側。
メンバー全員呆然と座り込みます。
この後ろの海は海水浴場。
こんな看板が・・・
今はこんな状況。
車で走ると少し低い場所は津波を受けています。
さて、津波は先ほどの浜から湾内に抜けましたが、抜けた場所がフェリーの港だったのです。
港の被災前。
右端の白い3階建ての建物を覚えておいて・・・
被災後。
白い3階建てより手前は何も残っていません。
近づくと・・・
港付近の家々も
次の写真の家は基礎から引き剥がされて1階の床が裏から見えます。
ユニットバスの床の裏、その配管までが見えています。
港のフェリーは道路の上になんと、桟橋に2艘が繋留されたまま運ばれています。
付近には車の山がありました。
この後、3時間掛けて仙台に戻り、更に9時間弱掛けて名古屋に帰りました。
いろいろな方から繋いでいただいた物資運搬先は宮城県気仙沼沖の大島になり、
東海・ビルド 安全協力会の思いを届けることができました。
皆様、本当にありがとうございました。
また、東海地震が今来ても不思議ではない名古屋にある建設会社として
今回の視察をこれからの建築に反映しなければなりません。
今週土曜は開発会議。
必ずこの内容を東海・ビルド全員で共有します。
次回ブログは今回の視察で判った事、考察などを報告して
今回の物資搬送報告を終えようと思います。