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2013-09-07

No.355 ベトナムへ 2

map今回、巡ったのは

ハノイ、ダナン、ホイアン。

今回ベトナムに入ったのはハノイから。

ハノイ

ベトナムの首都。ホーチミンが商業の中心なら、ハノイは政治・文化の中心都市。

11世紀に首都タンロンが置かれ、以来1000年の歴史を持つ古都にふさわしく 由緒ある寺が多い。

整然と走る美しい並木の道路、点在する湖や公園。

フランスが残した建築群が旧市街に優雅な地域を作り出している。

その歴史は・・・

ちょっと長いですが我慢して読んでみて下さい。

以降の写真の見方が変わります。

中国は何世紀もの間ベトナム先住民を軍事力を使って非道に支配し、独裁者としての名を上げていきました。

西暦938年まで中国の植民地でしたが、呉権が指導者となりベトナム人は独立組織を作り、反逆の準備をしました。

その後ベトナムは独立しますが、呉権の死後国に混乱が起こりました。

その後、ハノイは4世紀かけて再び元の状態に戻ると首尾よくベトナム政治の中心地になりました。

新たな出発を始めると、王宮、文廟、ベトナム最古の大学など歴史に残る素晴らしい建築に取り掛かります。

諸外国に町の発展が知れ渡ると、ハノイは中国、クメール族、フビライ・ハーン達の格好のターゲットになりました。

15世紀初め、ハノイは再び中国の植民地になりますが、中国の支配は短い期間でした。

ベトナム人は徹底的に激しく中国に対抗して、抵抗運動の指導者黎利のもと中国を撃退しました。

黎利がベトナムを統制すると、中国は速やかに退散し、ベトナムは再び独立を手に入れます。

1864年、フランス軍が到着すると、ハノイはフランスのベトナム占領都市のひとつになります。

ベトナム人はフランス軍に抵抗しますが1世紀近くフランスの支配下でした。

その後、フランスはベトミン(ベトナム独立同盟)とついに激しく戦うことになります。

第2次世界大戦中、多くのインドシナの地域と同様にハノイも日本軍に占領されました。

1940年から日本はハノイを支配しましたが、1945年まで続きませんでした。

その理由は豊富な軍事力や軍資金を持っているアメリカ合衆国がベトミンに援助したからです。

1965年から1975年に起こったベトナム戦争は被害が酷かったベトナム南部で集中的に行われ、

ハノイは戦争被害を最小限に抑えるため必死で耐えました。

戦後、ベトナム北部と南部が再合併すると、ホーチミンではなくハノイが首都になりました。

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