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2013-11-21

No.389 東京研修雑感 1

カテゴリーの「独り言」らしく

東京研修の建物紹介をみんなの後を追って

シリーズで

お送りします。

以下は三菱一号館美術館のホームページから

三菱一号館

1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。
今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、
その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。

1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、

三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。

全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。

当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、

階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。

この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、

40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。

今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。

また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、

その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。

19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。

いうことで

IMG_4252

こんな高層ビルの足元に集合する東海・ビルドの面々。

見上げたり見回したり

お上りさんの日本代表と化す。

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ビルの足元のガーデン。植栽を含めたそのセンスに圧倒されつつ

三菱一号館美術館に入る。

IMG_4254

この階段・・・

鋳鉄のデザインですが手摺りの唐草は洋、階段の蹴込みは和の障子組子を思わせる。

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部材を止めるナットやボルトの一本まで心が行き届いている。

鉄っていいなー  と  見惚れる。

IMG_4258

元の建物は

旧用途 事務所・銀行

設計者 ジョサイア・コンドル、曽禰達蔵

施工 直営工事

建築主 三菱合資会社

事業主体 三菱地所

構造形式 煉瓦組積造(イギリス積)

延床面積 5,044平方メートル[1]

階数 地上3階、地下1階

高さ 軒高50尺(約15メートル)

1964

outside

さて

ミュージアムショップ。

この時期限定の色鉛筆  ゲット!

IMG_6892

代官山に続く

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