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2013-11-22

No.390 東京研修雑感 2

続いて

代官山ヒルサイドテラス。

槇文彦設計。

朝倉家が所有する広大な土地に7期に渡り創り出された集合住宅群。

但し、アネックスの設計は元倉真琴。

明治になるとこの水車の収益で渋谷付近の土地を買い集めて大地主となり、米穀商を営んだ。またこの頃の当主であった朝倉虎治郎は渋谷区議会議長や東京府議会議長を務めた政治家でもあった。しかし第二次大戦後、朝倉家は所有していた土地の大部分を失い、本宅も相続税支払いの為に売却を余儀なくされた(重要文化財・旧朝倉家住宅)。手元に残った旧山手通り沿いの土地を生かした不動産経営を検討していた朝倉家は、先代の当主である朝倉誠一郎および当代当主の朝倉徳道が慶應義塾大出身だった縁で1967年に槇文彦と知り合い、「代官山集合住宅計画」を立案させた[1]。

朝倉家は明治になると水車の収益で渋谷付近の土地を買い集めて大地主となり、米穀商を営んだ。

またこの頃の当主であった朝倉虎治郎は渋谷区議会議長や東京府議会議長を務めた政治家でもあった。

しかし第二次大戦後、朝倉家は所有していた土地の大部分を失い、本宅も相続税支払いの為に売却を余儀なくされた。

手元に残った旧山手通り沿いの土地を生かした不動産経営を検討していた朝倉家は、先代の当主である朝倉誠一郎および当代

当主の朝倉徳道が慶應義塾大出身だった縁で1967年に槇文彦と知り合い、「代官山集合住宅計画」を立案させた。

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窓の切り方、建物同士の距離感、その距離に生み出されるサンクンガーデン。

何時間居ても飽きない。

槇文彦は名古屋大学豊田講堂の設計者。

随所に同じデザインボキャブラリーが現れる。

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一階には店舗が入り、後方の建物に住居が配置されている。

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この建物案内は立体的。

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たまに現れるショップサインも 「代官山」。

ところで、建物の間の空間が何とも心地良い。

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代官山が上質なイメージを創り出したのはこの建物群があったからかもしれない。

第1期(1969年)A・B棟

第2期(1973年)C棟

第3期(1977年)D・E棟

第4期(1985年)アネックスA・B棟

第5期(1987年)ヒルサイドプラザ

第6期(1992年)F・G・N棟

第7期(1998年)ヒルサイドウエスト

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代官山にとけ込む工事部 吉川・・・

今一歩 とけ込めないか?

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